加藤清正公の功績が今は仇になってる? なぜ?

それは、「あれはですな、加藤清正公の功績が、今は仇となっとるとですよ。なんでか判っですか?」という会話からはじまりました。

以前から議員になったら必ずやりたいと考えていた「出水地区の用水路整備」について、周辺住民の方から話を聞いたときに冒頭で逆質問されたものです。

「わからない」と答えると、それから30分もの間丁寧に説明をしてくださいました。
以下はその内容です。↓

〝あの用水路の名前は、『一の井手』と言います。昭和28年の大水害の時、鶴屋百貨店の2階まで浸水したというのは有名な話ですが、この時、実は、現在毎年水害に遭う国府・出水地区は、当時 住宅だった場所を除いて水に浸かりませんでした。

ちなみに、『一の井手』とは、加藤清正公が渡鹿堰を造成したとき、「一の井手」、「二の井手」、「三の井手」と追加造成したものです。

渡鹿堰から走る、この三つの井手は、ピンクの部分(図1)の田畑を水で潤し、豊作に導くための用水路でした。用水路は、下流に行けば行くほど、このように(図2)段々と細くなっていきます。なぜかと言うと、ピンク色の部分は全て田畑だったためです。

つまり、昔は途中途中でどんどんと田畑に配水して行き、末尾の地域になると水かさが減ってしまうため、水路の径を小さくして水かさを上げる必要があったのです。

ところが、現在のピンク色の部分はほぼ住宅です。田畑は皆無なので配水することはできません。

したがって、渡鹿堰から離れれば離れるほど、水が溢れ出し国府や出水付近は毎年水害に見舞われるようになってしまったのです。

こんな「出水地区の用水路」ですが、来年度から大規模改修が始まることが決定しました!
状況については、追ってご報告させて頂きます。