熊本市議会議員筑紫るみ子 熊本市出水校区の水被害問題

【6月15日・加藤清正公の功績が今は仇になってる】

こんにちは

筑紫るみ子です(^^♪

今回は、私が住んでいる熊本市出水校区の水被害問題にまつわるお話です。

この地区に住んでいる皆さまは、梅雨になると必ずこう思われている方が多いのではないでしょうか?

「あー…また水に浸かる時期が来た」

「引っ越そうかな…」

そう、ここ、出水地区は、江津湖の少し下に位置する地域で、梅雨時期になると、必ず水に浸かる地域なのです

ですが、私は長い間、

「江津湖の下にあるから浸水は仕方ないのかな?…」

と思っていました。

その為、当選を果たしたら、これは必ずやりたい!の一つが、ここ出水地区の用水路整備でした。

念願叶い、無事に当選させていただき、

「よし!! これやる」

と、意気込んで熊工出身の頼りになる先輩議員、寺本先生に、これまた熊工出身の土木課の皆さまと、この件で打ち合わせをさせていただく事になりました(エヘン!!(*^^)v)

が… けど、ちょっと待て…

私が一番に解決したかったこの場所

出水南中学校

道幅と用水路幅が同じくらいで、子供の通学路…

こんな感じで、通る度に、

「車→離合できんし、子供の通学路だし、人が落ちたって話も聞いたし…」

明日会う土木課の皆さんと、こんな問題がたくさんの、この用水路の話をするために、

「この用水路の事を、少しは下調べしておこう!!」

と、この場所まで行き、近所の方々にお話を聞いてみる事にしました。

用水路の場所に行ってみると、遠くの田んぼで田植えをしているご年配の方が一人…

「田植え中だな~…申し訳ないけど…」

他に誰も見えず、仕方がないので田植え中のご年配に声を掛けました。

「あのー、少しお話良いでしょうか?…」

声をかけると、手を止め、私の方においでになり、ご年配の方が「はい?」

私は、向こうにある用水路を指し、

「私は先日の選挙で当選しました、熊本市の議員で筑紫と申します。実は、あの大きな用水路のブロックや浸水の整備の事で土木課の方と話します。それでその前に、何故、何十年もあんな危ないままで放置されてきたのかを地元の方に聞いておきたくて」

と聞くと、その方が、

「あれはですな、加藤清正公の功績が、今は仇となっとるとですよ。なんでか判っですか?」

「んっ!?… 判らないです」

それからなんと30分“何故か”の説明をしてくださいました。

「あの用水路はですな、“一の井手”と言います。」

理由を聞くと


昭和28年の大水害の時、鶴屋の2階まで浸水したというのは有名な話ですが、この時、実は、現在毎年水害に遭う国府・出水地区は全く浸からなかったそうです。


  • 加藤清正公が渡鹿堰を造成
  • 同じく一の井手、二の井手、三の井手を造成

渡鹿堰から走る、この三つの井手は、ピンクの部分の田畑を水で潤し、豊作に導くための用水路でした。


用水路は、下流になるほど、このように段々と細くなっていきます。何故でしょう?

答えは

上の図のピンクの部分、以前は全部田畑でした。その為、昔は途中途中でどんどんと田畑に配水して行き、末尾の地域になると水かさが減るため、水路の径を小さくして水かさを上げ、配水していたのでした。

ところが今は前図のピンクの部分が、ほぼ住宅になってしまい、配水できなくなりました。それで、特に梅雨時期に、渡鹿堰から離れるほど、水が溢れ出し国府や出水付近は毎年水害に見舞われるようになったのです。


なので、この水域の水害をなくすためには、大規模改修が必要となるのです。そのため今まで後回しになっていたのだとか。

教えてくださった方のお名前は村上さん

なんと熊工の大先輩という事も発覚

御年90歳!!

村上さんの田圃

ところが朗報

紺大規模改修工事が来年から始まることに決定いたしました!!

この続きはまた今度です。